龍穏寺
龍穏寺は、埼玉県越生町龍ヶ谷にある曹洞宗の寺院です。
山号
長昌山(ちょうしょうさん)
草創
西暦807年
格式
関三刹(かんさんさつ)
中興開基
太田道灌 道真公
名前の由来
かつてこの山に住んでいた荒ぶる龍を、曹洞宗の僧が法力により
穏やかにさせた、というお話が「龍穏寺」の由来になっております。
また、「龍ヶ谷」という地名も、この伝説を色濃く伝えております。
越生駅より続く県道から離れ、山あいの道を約2km。
渓流に沿って上って行くと、右手に大きな山門が見えます。
春先、梅の花が咲くと、桜、シャガ、つつじ、山吹
セッコク、紫陽花…と季節の花が続き、境内を彩ります。
ドライブやサイクリング、ハイキングの途中に
どうぞお立ち寄りください。
御朱印も承っております
1.『釈迦牟尼佛』:御本尊
2.『毘沙門天』 :武蔵越生七福神巡り
3.『将軍地蔵尊』:関東百八地蔵霊場(十二)番札所
平安時代
西暦800年初頭、修験者達の寺として創建され、信仰を集めました。
室町時代
足利将軍の命により、曹洞宗の寺院となります。
武将
「太田道真・道灌」の尽力によって中興されました。
江戸時代
幕府・徳川家康により、「関三刹」の筆頭に任命されます。
(かんさんさつ/かんさんせつ = 関東三大寺)
全日本1万5千の寺院を統括し、十万石の格式を拝領しました。
その格式より、いかなる大名でも参道の「下馬門」において
馬や駕籠を降り、参拝しなければならなかったと言います。
また、大本山永平寺(福井県)の貫首は関三刹より輩出され
当寺からも多くの住職が永平寺へと昇っております。
明治時代
その後、明治維新により、幕府から拝領した特権は返上。
全国七十余の末寺と共に、歴史のある“穏やかな”お寺として
今日に至ります。(※詳しい歴史は
『縁起』にて)
住職
長昌山龍穏寺 六十六世住職
中井 隆吾(なかい りゅうご)
その他の役職
曹洞宗大本山・總持寺:
副監院
埼玉県秩父市・光明寺:
住職
埼玉県仏教会 :
理事
その他 :
梅花講師
略歴
誕辰(誕生) 昭和30年11月28日
得度(出家) 昭和40年12月8日 埼玉県第480番 常泉寺 住職:中井伸爾について
修学 昭和53年3月31日 駒澤大学仏教学部仏教学科 卒業
安吾(修行) 昭和53年3月8日~
昭和56年3月31日 大本山總持寺に本山僧堂 安居
立身 昭和51年冬 埼玉県第467番 光明寺 住職:中井伸爾 再会に於いて
転衣 昭和54年3月31日 許状を受く
瑞世 昭和54年5月5日 大本山永平寺
昭和54年4月23日 大本山總持寺
宗門歴
平成12~15年 本山總持寺梅花講師
平成10年~ 本山總持寺・地方副監院
平成24年8月6日~ 権大教師
平成30年6月23日~ 本山總持寺・副監院
社会歴
平成13年5月25日~ 保護司
平成19年1月~ 秩父市選挙管理委員
平成22年~ 秩父札所連合会長
平成20年~ 財団法人埼玉県仏教会理事