画像1 画像2 画像3 画像4 画像5



龍穏寺の概要

龍穏寺


龍穏寺は、埼玉県越生町龍ヶ谷にある曹洞宗の寺院です。

山号
 長昌山(ちょうしょうさん)
草創
 西暦807年
寺号
 龍穏寺(りゅうおんじ)
開山
 無極慧徹
宗派
 曹洞宗
開基
 足利義教 (六代将軍)
格式
 関三刹(かんさんさつ)
中興開基
 太田道灌 道真公

名前の由来


かつてこの山に住んでいた荒ぶる龍を、曹洞宗の僧が法力により
穏やかにさせた、というお話が「龍穏寺」の由来になっております。
また、「龍ヶ谷」という地名も、この伝説を色濃く伝えております。



みどころ
越生駅より続く県道から離れ、山あいの道を約2km。
渓流に沿って上って行くと、右手に大きな山門が見えます。 大きな山門

春先、梅の花が咲くと、桜、シャガ、つつじ、山吹
セッコク、紫陽花…と季節の花が続き、境内を彩ります。

ドライブやサイクリング、ハイキングの途中に
どうぞお立ち寄りください。

御朱印も承っております


1.『釈迦牟尼佛』:御本尊
2.『毘沙門天』 :武蔵越生七福神巡り
3.『将軍地蔵尊』:関東百八地蔵霊場(十二)番札所



略歴

平安時代


西暦800年初頭、修験者達の寺として創建され、信仰を集めました。 太田道灌


室町時代


足利将軍の命により、曹洞宗の寺院となります。
武将「太田道真・道灌」の尽力によって中興されました。


江戸時代

下馬門
幕府・徳川家康により、「関三刹」の筆頭に任命されます。
(かんさんさつ/かんさんせつ = 関東三大寺)
全日本1万5千の寺院を統括し、十万石の格式を拝領しました。

その格式より、いかなる大名でも参道の「下馬門」において
馬や駕籠を降り、参拝しなければならなかったと言います。

また、大本山永平寺(福井県)の貫首は関三刹より輩出され
当寺からも多くの住職が永平寺へと昇っております。 現在の境内


明治時代


その後、明治維新により、幕府から拝領した特権は返上。
全国七十余の末寺と共に、歴史のある“穏やかな”お寺として
今日に至ります。(※詳しい歴史は『縁起』にて)



龍穏寺の住職

住職


中井隆吾住職
長昌山龍穏寺 六十六世住職
中井 隆吾(なかい りゅうご)



その他の役職


大本山・総持寺
曹洞宗大本山・總持寺:副監院 *1
埼玉県秩父市・光明寺:住職
埼玉県仏教会    :理事
その他       :梅花講師 *2


梅花流詠讃歌 監院... 住職を代行し、お寺の寺務全般における総責任者で「監寺」とも
    申します。副監院はその補佐を行う役職でございます。


梅花... 梅花流詠讃歌の略称でございます。鈴鉦を用いて唱え
    お釈迦さまを讃え、ご先祖さまを敬うこころを歌います。




略歴


誕辰(誕生) 昭和30年11月28日
得度(出家) 昭和40年12月8日 埼玉県第480番 常泉寺 住職:中井伸爾について
修学     昭和53年3月31日 駒澤大学仏教学部仏教学科 卒業
安吾(修行) 昭和53年3月8日~
       昭和56年3月31日 大本山總持寺に本山僧堂 安居
立身     昭和51年冬    埼玉県第467番 光明寺 住職:中井伸爾 再会に於いて
転衣     昭和54年3月31日 許状を受く
瑞世     昭和54年5月5日 大本山永平寺
       昭和54年4月23日 大本山總持寺


宗門歴


平成12~15年   本山總持寺梅花講師
平成10年~    本山總持寺・地方副監院
平成24年8月6日~ 権大教師
平成30年6月23日~ 本山總持寺・副監院


社会歴


平成13年5月25日~ 保護司
平成19年1月~   秩父市選挙管理委員
平成22年~    秩父札所連合会長
平成20年~    財団法人埼玉県仏教会理事